目次
JAZZの誕生と歴史
ジャズは西洋音楽とアフリカ音楽の組み合わせにより発展した音楽です。
スピリチュアル、ブルース、ラグタイムの要素を含み、ニューイングランドの宗教的な賛美歌やヨーロッパの軍隊音楽にあります。アフリカを起源とするものはアフリカからアメリカ南部に連れてこられた移民とその子孫の民族音楽としてもたらされたとされています。都市部に移住した黒人ミュージシャンによってジャズは進化を遂げたと言われています。
発祥の地は、米国はルイジアナ州の港町ニューオーリンズで1900年頃に誕生したとされるジャズですが、実際のところ、具体的にどう生まれたのかは現在まではっきりしていません。一つだけ確実にいえるのは、ニューオーリンズがかつて欧州から移住した人々や欧州系白人と黒人の混血「クレオール」、奴隷制があった時代にアフリカから労働力として強制的に連行された人々など、多種多様な人種が集まり、新たな文化が生まれやすい土地だったということです。20世紀初頭、米国では過酷な労働を強いられた黒人労働者が怒りや苦悩、不満といった自らの感情を表現する手段として用いた音楽が労働歌、ブルースへと発展しました。これに加えて、ニューオーリンズでは歓楽街「ストーリーヴィル」などのピアニストたちが軽快なタッチで演奏する「ラグタイム」で人気を集め、アフリカ系の人々もトランペット、トロンボーン、クラリネットといった西洋楽器を使ったマーチングバンドによる街頭演奏を行うようになっていました。ジャズが誕生したのは、同時期の様々な音楽がニューオーリンズで発展・融合し強烈な化学反応を起こした結果といってもいいと思います。
ジャズの分野で最初に有名になったのはコルネット奏者のバディーホールデンで、彼はニューオーリンズで人気を博し初代ジャズ王と呼ばれました。同じコルネットのキング・オリヴァーらがラグタイムを発展させ、ジャズの礎を築いたといわれるピアニストのジェリー・ロール・モートンなどがいますが、残念ながら現在残されている音源は僅かです。ジャズで最初の録音もこの時期で、商業用ジャズレコードが発売されたのは1917年ニューオーリンズ出身の白人5人組バンド・オリジナルディキシーランドジャズバンドが初めでした。
Original Dixieland Jazz Band
1917年、ニューオーリンズ出身の白人バンドであるオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが、ジャズでは初の商業用レコードとなる、“Dixie Jass Band One Step”と“Livery Stable Blues”の2曲入りシングルをビクタートーキングマシンから発表。
スウィング・ジャズ時代
ニューオーリンズで生まれたジャズが転機を迎えたのは1917年頃で、これまで貿易従事者、港湾労働者を中心に音楽や酒、賭博、売春の中心だった歓楽街「ストーリーヴィル」が第一次世界大戦の影響で閉鎖され、仕事にあぶれた多くのミュージシャンたちがミシシッピ川に沿って北上してシカゴに辿り着きました。すでにニューオーリンズで人気者になっていたルイ・アームストロングもその一人で、彼は1922年ごろシカゴに、さらには今や「ジャズの聖地」となったニューヨークに拠点を移しました。歌や踊りのバックに流れる音楽として、ハーレムや高級クラブなどで高い人気を誇り、さらにジャズの成長を後押ししたといわれるのは1920年に制定され、1933年まで13年間続いた「禁酒法」でした。禁酒法の時代を迎えると酒場が地下化し、ここに集うミュージシャンによって渾然としていた1920年代初頭のアメリカを代表する音楽スタイルのひとつとしてジャズが国内の大都市に急速に広まります。皮肉にも暗黒街のマフィアらによる「スピーク・イージー」と呼ばれた違法酒場で不可欠な音楽となり、人の感情を高揚させる「酒と音楽」はいつの世も切り離せないものでした。1929年にいわゆる「世界大恐慌」が発生し、ニューヨークのウォール街が壊滅的な打撃を受けました。人々はこの恐慌がもたらした絶望感の中ジャズという音楽に一筋の明るい光、未来への希望を期待するようになります。第一次世界大戦から大恐慌までのアメリカの隆盛期が「ジャズ・エイジ」と呼ばれるのはこのためです。この結果1930年代に生まれたのがビックバンド形式で演奏される、陽気で自然と体が踊り出してしまうような「スウィング・ジャズ」でした。クラリネット奏者のベニー・グッドマンやピアニストのデューク・エリントン、カウント・ベイシー、それにトロンボーンのグレン・ミラーらがトランペット、サックス、トロンボーンなどによる大編成のビッグバンドを率いて、米国各地のダンスクラブを席巻しました。スウィング・ジャズの栄華を示す出来事として今でも語り継がれるのが1938年のベニー・グッドマン楽団によるカーネギー・ホールでのコンサートといわれています。「シング・シング・シング」「イン・ザ・ムード」「A列車で行こう」といった、今でもブラスバンドなどで頻繁に演奏されるナンバーが多いのも、この時代のジャズ人気の高さを象徴しているのではないでしょうか。
■代表的なアーティスト
アーティ・ショウ:クラリネット
ベニー・グッドマン:クラリネット
ハーシャル・エバンス:サクソフォン
レスター・ヤング:サクソフォン
ルイ・プリマ:トランペット
ルイ・アームストロング:トランペット
バック・クレイトン:トランペット
ハリー・エディソン:トランペット
キャット・アンダーソン:トランペット
ハリー・ジェイムス:トランペット
グレン・ミラー:トロンボーン
トミー・ドーシー:トロンボーン
デューク・エリントン:ピアノ
カウント・ベイシー:ピアノ
フレッチャー・ヘンダーソン:ピアノ
Glenn Miller
本名オルトン・グレン・ミラー、Alton Glenn Miller,1904年-1944年は、アメリカのジャズミュージシャン(トロンボーン奏者、作曲家、アレンジャー、バンドリーダー)。グレン・ミラー・オーケストラ(Glenn Miller Orchestra)を結成。カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ、ビッグ・バンドの代表奏者に挙げられる。アイオワ州クラリンダ生まれのドイツ系アメリカ人。1915年に家族と移住したミズーリ州グラントシティでトロンボーンを始め、地元のオーケストラで演奏を始める。やがて1923年にコロラド大学ボルダー校に進学するもほとんど行かずに中退、ニューヨークにてプロのトロンボーン奏者として音楽の道に進むが、売れずに目立たない時代が続いた。やがてトミー・ドーシーやベニー・グッドマン、レッド・ニコルスなどの音楽家と親交を結び、1937年に自己の楽団「グレン・ミラー・オーケストラ」を結成後、1938年にRCA傘下のブルーバード・レコードと契約、翌1939年から「ムーンライト・セレナーデ」「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」「チャタヌーガ・チュー・チュー」など次々とヒット曲を発表し、バンドリーダー、作曲家、編曲家として絶大なる人気を博した。
Louis Armstrong
1901年-1971年は、アフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャン。サッチモ (Satchmo) という愛称で親しまれ20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンの一人である。
サッチモという愛称は「satchel mouth」(がま口のような口)というのをイギリス人記者が聞き違えたとする説や、「Such a mouth!」(なんて口だ!)から来たとする説などがある。その他、ポップス (Pops)、ディッパー・マウス (Dipper Mouth) という愛称もある。アームストロングが生まれ育ったのは、ニューオーリンズのアフリカ系アメリカ人が多く住む比較的貧しい居住区であった。子供の頃に祭りで浮かれ、ピストルを発砲して少年院に送られた。その少年院のブラスバンドでコルネットを演奏することになったのが、楽器との最初の出会いとなった。その後、町のパレードなどで演奏するようになり人気者となる。動画は1965年のベルリンでのライブ映像です。
Benny Goodman
本名ベンジャミン・デイヴィッド・グッドマン(Benjamin David Goodman)1909年-1986年は、クラリネット奏者、バンドリーダー。スウィング・ジャズの代表的存在として知られる。縫製職人の家の九男としてシカゴに生まれる。貧しいロシア系ユダヤ移民の家庭に育ち、教育は「ハル・ハウス」という福祉施設で受けている。無料で音楽が学べる地元の音楽教室にて10歳の頃からシカゴ音楽大学の元教師・フランツシェップの下でクラリネットを習得。11歳のときにデビューする。
ビ・バップ時代
一般大衆にジャズを広めたスウィングでしたが、1940年を過ぎるとダンスと一体化したジャズを毛嫌いする聴衆やミュージシャンも現れ、発展を繰り返したジャズの歴史にあって初の「倦怠期」がやって来ました。こうした中、ビッグバンドに所属していた当時の若手ミュージシャンがニューヨークのハーレム街に近い「ミントンズ・プレイハウス」に出入りし、本来の仕事を終えた後にジャムセッションを繰り返すようになりました。ミントンズでは従来のスウィングにはない、コード進行に基づくアドリブ(即興性)を中心とした自由な演奏が繰り広げられました。アルトサックスのチャーリー・パーカー、トランペットのディジー・ガレスピー、ピアノのセロニアス・モンクやバド・パウエル、ギターのチャーリー・クリスチャン、ドラムのケニー・クラーク・・・ジャズ史を彩る偉大なるミュージシャンの数々がこうしたジャムセッションでの熱い魂、創造力をぶつけ合い、「ビ・バップ」という新たなジャズが生まれました。従来のジャズの常識を覆したビ・バップはいわゆる「モダン・ジャズ」の基礎になり、様々なジャズの変化形を生み進化していきました。「ジャズの帝王」マイルス・デイビスはパーカーの薫陶を受けた後、知的でビ・バップよりも感情を抑えた「クール・ジャズ」の流れを作りました。49年から50年にかけて「クールの誕生」というアルバムをレコーディングしました。フレンチ・ホルンとチューバが加わった知的なトーンの九重奏団のサウンドは大きな話題となりました。その後1950年代前半に白人ミュージシャン中心に西海岸で一大センセーションを巻き起こした編曲重視の「ウエスト・コースト・ジャズ」の端緒にもなりました。「ジャズ界のジェームス・ディーン」として絶大な人気を誇ったトランペットのチェット・ベイカー、バリトンサックスのジェリー・マリガンは「ウエスト・コースト・ジャズ」の代表格で、「小鳥のささやき」のような音色で人気を集め、明るさの中に切なさが見え隠れする一見ちょっと違ったジャズの感じも受ける。テナーサックスのスタン・ゲッツもこうしたクール・ジャズの延長線上のミュージシャンです。
■代表的なアーティスト
チャーリー・パーカー:楽器・サックス
ディジー・ガレスピー:トランペット
セロニアス・モンク:ピアノ
カーリー・ラッセル:ベース
バディ・リッチ:ドラムス
クリフォード・ブラウン:25歳死去、トランペット
チャーリー・クリスチャン:25歳死去、ギター
マイルス・デイヴィス:トランペット
ジョン・コルトレーン:サックス
ファッツ・ナヴァロ
レイ・ブラウン:ベース
マックス・ローチ:ドラムス
デクスター・ゴードン
ジェームス・ムーディー
ケニー・クラーク
ソニー・クラーク
ソニー・スティット
ソニー・ロリンズ:サックス
バド・パウエル:ピアノ
ジョン・ルイス
ミルト・ジャクソン:ヴィブラフォン
タッド・ダメロン
ジーン・アモンズ
J・J・ジョンソン:トロンボーン
デューク・ジョーダン
ロイ・ヘインズ:ドラムス
フィリー・ジョー・ジョーンズ:ドラムス
Charlie Parker
1920年-1955年、アメリカ合衆国のジャズミュージシャン。アルトサックス奏者、作曲家、編曲家。1940年代初頭から、モダン・ジャズの原型となるいわゆるビバップスタイルの創成に、ディジー・ガレスピーと共に携わった。アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティに生まれ、ミズーリ州カンザスシティで育つ。子供の頃より並外れた音楽の才能があった形跡はなく、彼に大きな影響を与えたのはインプロヴィゼーションの基本を教えた、若きトロンボーン奏者だった。父親はT.O.B.A.(アフリカ系アメリカ人によるヴォードヴィル)のピアニストやダンサー、歌手といった音楽への影響があるかもしれないと語っている。
Dizzy Gillespie
本名ジョン・バークス・ガレスピー、John Birks Gillespie、1917年-1993年は、アフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャン。トランペット奏者でバンドリーダー、作曲家。アメリカサウスカロライナ州チーローに生まれる。レンガ職人だがアマチュアミュージシャンでもあった父親の影響で音楽に親しみ、14歳からトロンボーンを演奏するようになったがすぐにトランペットに転じた。動画はチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーのセッションです。
Thelonious Monk
本名セロニアス・スフィア・モンク、Thelonious Sphere Monk、1917年-1982年は、アメリカのジャズ・ピアニストであり、即興演奏における独特のスタイルと、数多くのスタンダード・ナンバーの作曲で知られる。ノースカロライナ州ロッキーマウントに生まれ、その後間もなく、モンクの家族はニューヨークへ移り住んだ。6歳の時にピアノの演奏を始め、多少の正式なレッスンを受けてはいたが、本質的には独学と思われる。40年代初頭より、ジャズ・ピアニストとしての活動を始める。モンクの演奏スタイルは、この頃は「ハード・スウィンギング」と呼ばれる類いのもので、 アート・テイタムのスタイルに近かった。 1944年にモンクは、自身の最初のスタジオ録音をコールマン・ホーキンス・カルテット (Coleman Hawkins Quartet) と共に行っている。
Miles Davis
本名マイルス・デューイ・デイヴィス三世、Miles Dewey Davis III, 1926年-1991年は、アメリカ合衆国出身のジャズトランペット奏者、作曲家、編曲家。アルバム『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』など多くの作品で知られ、説明不要な程有名な人物です。日本では彼を「モダン・ジャズの帝王」と呼ぶジャズ・ファンやジャズ評論家もいる。いわゆるジャズの巨人の一人。クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、クロスオーバー、ヒップホップ・ジャズなど、時代に応じて様々な音楽性を見せ、ジャズ界を牽引した。イリノイ州オールトン生まれ。翌年にイーストセントルイスへ転居。祖父はアーカンソー州に広い土地を持ち、父は歯科医、母は音楽の教師という裕福な環境で育った。13歳の誕生日に父親からトランペットをプレゼントされ、演奏を始める。高校在学中の15歳のときにユニオン・カードを手に入れ、セントルイスのクラブに出演するようになる。当時のセントルイスにはアフリカ系アメリカ人の労働者の居住区が多く、ジャズライブが定期的に行われていた。そのためマイルスは多数のジャズプレイヤーを見て学んでいた。
Bud Powell
本名アール・ルドルフ・パウエル、Earl Rudolph Powell, 1924年-1966年は、アメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト。ビバップスタイルの第一人者。ニューヨークに生まれる。パウエルの祖父はフラメンコ・ギタリストで、父はストライド・ピアニスト、兄のウィリアムはトランペット奏者という音楽一家で育つ。また、弟のリッチー・パウエルや、学友のエルモ・ホープも後にピアニストとして名を成すことになる。バドは最初はクラシックの勉強をしていたが、アート・テイタムらの影響でジャズに興味を持つようになり、15歳になる頃には兄のいるバンドでピアノを弾くようになっていた。スイング・ジャズ系ピアニストの中でもモダンなスタイルを持つアール・ハインズやビリー・カイルの影響を受けた右手の高速なシングルトーンと、頻繁なコードチェンジに対応するため左手はコードプレーに徹するという、ビバップに最適化された新たな演奏スタイルを確立した。また、同時代のジャズピアニストであるセロニアス・モンクとは深く親交があり、若き日のパウエルはモンクから音楽理論を学んだと言われている。
Chet Baker
本名チェット・ベイカー、Chet Baker,1929年-1988年、ウエストコースト・ジャズの代表的トランペット奏者であり、ヴォーカリストでもある。エル・カミノ・カレッジ音楽専攻。トランペットの実力はチャーリー・パーカーにも認められ、1952年から1953年にかけて彼のバンドでも活躍した。また中性的なヴォーカルも人気があり1954年にレコーディングされた『チェット・ベイカー・シングス』に収録の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はチェットの代表曲の1つです。このチェットの歌い方にジョアン・ジルベルトが影響され、ボサノヴァ誕生の一因となったと言われています。
ハード・バップ時代
1950年代半ばをピークに1960年代まで続いたスタイルで、ビ・バップをより分かりやすく発展させた音楽がニューヨークなど東海岸中心に「ハード・バップ」として花開きます。全体を通してアドリブ合戦で、やや緊張感がありすぎた感も否めなかったビ・バップをさらに咀嚼し、感情や曲の起伏を鮮明にして単調さを排除したといえば分かりやすいかもしれません。特にソロのアドリブ演奏面で、ホットでハードドライビングしながらも、メロディアスに洗練されたスタイルといわれている。また、よりフレーズが重要視されるため、メロディーとして成立しない音を音階からはずさざるをえないため、同じコードを使用しても、使えない音が出てくることが多く、ビバップよりも、融通性のないメロディーやフレーズとなりがちであった。また、ハード・バップはアフロ・キューバン/ラテン音楽の要素、とりわけルンバやマンボ等を取り入れて、ラテン・ジャズへと発展していく。特にハード・バップで演奏されるものはアフロ・キューバン・ジャズといわれることが多い。1954年、ニューヨークのライブハウス「バードランド」で録音された「バードランドの夜」は「ハード・バップ誕生の瞬間」を捉えた歴史的名盤といわれています。
■代表的なアーティスト
マイルス・デイヴィス (1926-1991)
マックス・ローチ (1924-2007)
アート・ブレイキー (1919-1990)
ジョン・ルイス (1920-2001)
クリフォード・ブラウン (1930-1956)
リー・モーガン (1938-1972)
ソニー・ロリンズ (1929-)
ジョニー・グリフィン (1928-2008)
エルビン・ジョーンズ (1927-2004)
ドナルド・バード (1932-)
ポール・チェンバース (1935-1969)
トミー・フラナガン (1930-2001)
トシコ・アキヨシ(穐吉敏子、秋吉敏子)(1929-)
Art Blakey
本名アート・ブレイキー、Art Blakey,1919年-1990年は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のジャズドラマー。10代後半からバンドで活動しニューヨークへ進出。一説には当初はピアニストであったが、ある時からピアノを断念しドラマーに転向した。きっかけは、ある夜、アート・ブレイキーが演奏するクラブに、クラブのボスがピアニストを連れてきて弾かせたところ、アートよりも優れた演奏をしたため、ボスはアートに「おまえはタイコでも叩いてな!」と拳銃をちらつかせながら脅したという出来事もあったそうです。当初ドラムの腕はたいしたことはなくバンド仲間からはバカにされていたが、盟友であるトランペッターのディジー・ガレスピーからアドバイスを受けみるみる上達したとのこと。
モダン・ジャズ/モード・ジャズ時代
ビバップをはじめとするモダンジャズでは、コード進行やコードの分解に基づくアドリブ・ソロ(奏者ごとの即興演奏)が行われてきた。ハード・バップに至っては、メロディが洗練された一方で、コードに基づく一つの音階のうち元のフレーズから外れた音が使えないという状況が出てきて制限がさらに増した。その大きな原因は、コード進行だけでなくメロディにおける進行感も演出しようとしたことにある。そこで、考え方を改め、コード進行を主体とせず、モードに基づく旋律による進行に変更したものが、モード・ジャズである(一説にはハード・バップから洗練・発展したものともいわれる)。バッキングなどの和声の面では多少困難にはなったものの、ソロプレイにおいては飛躍的に自由度が増しメロディの選択肢も増えた。欠点は、コード進行によるバッキングやメロディによる劇的な進行がない事である。1959年リリースの、マイルス・デイヴィスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」で完成されました。初めの一音を聞いただけでも新たな歴史の萌芽が感じられる名盤中の名盤です。この後、マイルスは60年代、ハービー・ハンコックやウエイン・ショーターらと黄金クインテットを結成し、モード・ジャズを牽引しました。「カインド・オフ・ブルー」に愛弟子のテナーサックス奏者、ジョン・コルトレーンも参加しており、彼はこのアルバムの直後に録音された「ジャイアント・ステップス」で超絶技巧を駆使した、畳み掛けるような音符の嵐で聴く者だけでなく、共演者までも圧倒する「シーツ・オブ・サウンド」を披露し、ハード・バップの到達点を示しました。ハード・バップを極めたコルトレーンにモード奏法という新たな「武器」が加わり、自分の感情や思想を音楽という手段を通じて最大限爆発させたいと考えていたコルトレーンをコードの束縛から解放しました。これが後に触れるフリー・ジャズの広がりにも繋がっていくことになります。
John Coltrane
本名ジョン・コルトレーン、John Coltrane, 1926年-1967年は、アメリカ、ノースカロライナ州生まれのモダンジャズのサックスプレーヤー。愛称はトレーン(Trane)。長い間無名のままでいたため、第一線で活躍した期間は10年余りであったが、自己の音楽に満足せずに絶えず前進を続け、20世紀ジャズの巨人の一人となった。主にテナー・サックスを演奏したが活動最初期はアルト・サックス、1960年代よりソプラノ・サックス最晩年にはフルートの演奏も残している。活動時期は、1950年代のハード・バップの黄金時代から1960年代のモード・ジャズの時代、さらにフリー・ジャズの時代にわたり、それぞれの時代に大きな足跡を残した。短い活動期間にも関わらず、アルバムに換算して200枚を超える多数の録音を残した。現在でも多くのジャズ愛好家たちに愛され彼の残したレコードはほとんどが廃盤にはならずに(あるいは一旦廃盤になっても再発売される形で)、2012年現在でも流通し続けている。さらに、死後40年以上経過した現在でも未発表テープが発掘され、新譜として発表される状況が続いている。
Herbie Hancock
本名ハービー・ハンコック、Herbert Jeffrey Hancock,1940年4月12日-は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家、プロデューサー。1960年代以降から現在において、ジャズ・シーンをリードするジャズの第一人者であり、ストレートアヘッド・ジャズ、フュージョン、ジャズ・ファンクなど多彩なジャズ・スタイルの最先端を走っている。1960年プロとしてデビュー。1963~68年はマイルス・デイビス・クインテットのメンバーとして活躍。7歳でピアノレッスンをはじめたハンコックは、11歳でシカゴ交響楽団と共演。高校時代にジャズを演奏し始めた。オスカー・ピーターソンやビル・エヴァンスに影響を受けたといわれている。グリネル大学(英語版)では音楽と電気工学を専攻、音楽と電子工学の両分野で博士号を取得。その後もニューヨークのクラブやスタジオ・シーンで名を馳せる。
Bill Evans
本名ウィリアム・ジョン・エヴァンス、William John Evans、1929年-1980年は、アメリカのジャズ・ピアニスト。モダン・ジャズを代表するピアニストとして知られ、ドビュッシー、ラヴェルなどのクラシックに影響を受けた印象主義的な和音、スタンダード楽曲を題材とした創意に富んだアレンジと優美なピアノ・タッチ、いち早く取り入れたインター・プレイといった演奏は、ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレットなど多くのピアニストたちに多大な影響を与えたほか、ジョン・マクラフリンといった他楽器のプレイヤーにも影響を与えている。エヴァンスの作品はジャズ・ミュージシャンの中で知名度が高く、中でもベースのスコット・ラファロと録音した諸作品(特にアルバム『ワルツ・フォー・デビイ』)は、ジャズを代表する傑作としてジャンルを超えた幅広い人気を得ている。
現代ジャズ時代へ
1970年代にはマイルスや彼の弟子のハービー・ハンコックやウエイン・ショーター、チック・コリアらがジャズに電子楽器やエイトビートのようなロックの要素を取り入れたフュージョンを演奏するようになり、一躍ジャズの主流に躍り出ました。特にショーターとジョー・サヴィヌルが中心となって結成した「ウェザー・リポート」、チックの「リターン・トゥー・フォーエバー」はジャズ・ファンでない人々にも支持され、ジャズの可能性を広げました。しかしその反面、フュージョンの台頭は伝統的なジャズの衰退をも意味していました。かつてジャズが聴衆を熱狂の渦に巻き込んだ時代は終わり、「暗黒時代」が到来したと嘆息した人々も少なくありません。
1980年代以降はウイントン・マルサリスなどの若手を中心に、フュージョンからの「揺り戻し」を狙った伝統的ジャズの見直しの動きが広がる一方、クラシックや民族音楽、ポップスなどとの融合も進み、一言でジャズと括れなくなるほど多様な音楽へと細分化していきます。
フリージャズ
1950年代後半以降に発生した、いかなる西洋音楽の理論や様式にも従わないという理念の、一連のジャズの総称である。ピアノを拳で叩くように弾く「パーカッシブ奏法」や、サックスの絶叫奏法ともいうべき「フリーキー・トーン」なども、この流れの中で出てきた演奏法である。南部テキサス州出身のオーネット・コールマンは、ニューオーリンズやバトン・ルージュで演奏したり、ピー・ウィー・クレイトンとともにロサンゼルスへ演奏旅行をしたりしていた。そのオーネットが、ドン・チェリーやチャーリー・ヘイデンとともにニューヨークの5スポット・ジャズ・クラブでフリー・ジャズを演奏し始め、ジャズ界に一大センセーションを巻き起こした。オーネットの革新的フリー・ジャズに続いたのが、サン・ラやセシル・テイラーらのジャズマンだった。他にもファラオ・サンダース、アーチー・シェップ、アルバート・アイラー、アート・アンサンブル・オブ・シカゴらのフリー・ジャズに取り組むミュージシャンが登場した。
■代表的なアーティスト
オーネット・コールマン
ドン・チェリー
チャーリー・ヘイデン
アーチー・シェップ
ローランド・カーク
アルバート・アイラー
スティーヴ・レイシー
エリック・ドルフィー
セシル・テイラー
アート・アンサンブル・オブ・シカゴ
サン・ラ
ファラオ・サンダース
ジョン・コルトレーン
Ornette Coleman
オーネット・コールマン、1930年-2015年は、アメリカ合衆国テキサス州フォートワース生まれのジャズ・サックス奏者。アルトサックスの他、トランペットやヴァイオリンもこなす。フリージャズの先駆者である。
Pharoah Sanders
ファラオ・サンダース、Pharoah Sanders、1940年10月13日-は、アメリカ合衆国のジャズ・サクソフォーン奏者。アーカンソー州リトル・ロック出身。晩年のジョン・コルトレーンと活動を共にしており、彼の後継者として知られている。
クロスオーバー
ジャンルの垣根を乗り越えて音楽性を融合させるスタイルを指す音楽用語。1960年代後半より、電気楽器やロック風な奏法を取り入れた新しい演奏スタイル、ジャズ・ロックやエレクトリック・ジャズが生まれ、マイルス・デイヴィスらの一部のミュージシャンによって、演奏スタイルの可能性拡大が試みられた。そして、シンセサイザーをはじめとする電子楽器の出現で、音色などの演奏表現も豊かになった。作品としてのジャズ演奏だけでなく、ポップミュージックやロックにも通じ相互に影響を受けた、ニューヨークやロスアンゼルスのスタジオ・ミュージシャン達の中から、より混合された形で、ジャンルの垣根を乗り越えた「クロスオーバー」音楽が生み出されるようになった。
■代表的なアーティスト
デオダート
ボブ・ジェームス
ジャン=リュック・ポンティ
ハーブ・アルパート
スティーリー・ダン
スウィング・アウト・シスター
Bob James
ボブ・ジェームス、Robert McElhiney “Bob” James、1939年12月25日 -は、アメリカミズーリ州生まれのピアニスト、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家である。ジャズ・フュージョンおよびアダルト・コンテンポラリー界を代表するアーティストの一人。ドラマの音楽や劇伴、クラシックまで幅広く手掛ける。
フュージョン
1960年代後半から現在に至るまでのジャズを基調にロックやラテン音楽、R&B、電子音楽などを融合(フューズ)させた音楽のジャンルである。一般的には、ジャズジャンルから確立されたものの一種に位置づけされている。電気楽器をジャズに導入する試みは、1960年代後半から開始された。マイルス・デイヴィスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」 (1969)と「ビッチェズ・ブリュー」 (1970)は、初期のエレクトリック・ジャズの代表作である。電気楽器を使用したジャズは、当初はジャズ・ロックやエレクトリック・ジャズと呼ばれることが多かった。
■代表的なアーティスト、バンド、グループ
アール・クルー、アイアート・モレイラ、アジムス、アル・ジャロウ、アル・ディ・メオラ、イエロージャケッツウィントン・マルサリス、ウェイン・ショーター、ヴィクター・ウッテン、ウェザー・リポート、ウォー(US)エアプレイ、エヂ・モッタ(ブラジル)、エリック・ゲイル、エロイーズ・ロウズ、オマー・ハキム、ザ・ガッド・ギャングキース・ジャレット、クスコ、クリス・ベッカーズ・スプラッシュ(UK)、クルセイダーズ、グローヴァー・ワシントン・ジュニアケニー・G、ゴードン・エドワーズ、コーネル・デュプリー、シーウィンド、ジェフ・ベック、ジェフ・ポーカロ、ジェフ・ローバー・フュージョンジェリー・ヘイ、シャカタク(UK)、ジャコ・パストリアス、ジョー・ザヴィヌル、ジョー・サンプル、ジョージ・デュークジョージ・ベンソン、ジョージ・ハワード、ジョン・トロペイ、ジョン・パティトゥッチ、ジョン・マクラフリン、スタッフ、スタンリー・クラークスティーブ・ガッド、スティーブ・ルカサー、ステップス・アヘッド、スパイロ・ジャイラ、チャック・マンジョーネ、チック・コリアデイヴ・グルーシン、デイヴ・コーズ、デイヴィッド・サンボーン、デイヴィッド・フォスター、デイヴィッド・ベノワ、テイク6、ディーン・ブラウンデオダート、トム・スコット、ドナルド・バード、ドン・グルーシン、ナイアシン、ナジー、ネーザン・イースト、ノーマン・コナーズ、ハービー・ハンコックハーヴィー・メイソン、ハーブ・アルパート、ハイラム・ブロック、パット・メセニー・グループ、ハリー・コニック・ジュニア、ピーセズ・オブ・ア・ドリームヒロシマ、ヒューバート・ロウズ、ビリー・コブハム、フォープレイ、ブライアン・カルバートソン、ブラック・バーズ、ブランフォード・マルサリスフルーツケーキ(オランダ)、フルムーン、ブレッカー・ブラザーズ、ポール・ジャクソン、ポール・ジャクソン・ジュニア、ボビー・ライルボブ・ジェームス、マーカス・ミラー、マイケル・ジャクソン、マイケル・ブレッカー、マイク・スターン、マイク・マイニエリ、マイルス・デイヴィスマハヴィシュヌ・オーケストラ、マリーナ・ショウ、マンハッタン・トランスファー、ミニー・リパートン、メゾフォルテ(アイスランド)、ラーセン=フェイトン・バンドラムゼイ・ルイス、ラリー・カールトン、ラリー・コリエル、ランディ・ブレッカー、リッピントンズ、リー・リトナー、リターン・トゥ・フォーエヴァーリチャード・ボナ、レニー・ホワイト、ロベン・フォード、ロイ・エアーズ・ユビキティ、ロニー・リストン・スミス、ロニー・ロウズ、ロン・カーター
Weather Report
ウェザー・リポートは、ウェイン・ショーターとジョー・ザヴィヌルの2人が中心になり、1971年に結成されたエレクトリック系サウンドをメインとしたアメリカのジャズ・フュージョン・グループである。
Shakatak
シャカタクは、ギリスのフュージョンバンドである。アメリカ合衆国のジャズを起源とするフュージョンとは異なり、アドリブ偏重ではなく旋律と編曲を重視した親しみやすいサウンドが特徴で、1980年代においてレベル42と人気を分かち合い、ブリティッシュ・ジャズ・ファンクシーンを盛り上げた。1980年に結成。同年、ポリドールよりシングル「Steppin’」でデビュー。
アシッドジャズ
1980年代にイギリスのクラブシーンから派生したジャズの文化。ジャズ・ファンクやソウル・ジャズ等の影響を受けた音楽のジャンル。レコードレーベルの名称。1981年、DJのポール・マーフィーがロンドン・カムデンのクラブ「Electric Ballroom」にて、ジャズのレコードを選曲したイベント「Jazz Room」を開催した。また、マンチェスターのクラブ「Berlin」では、DJのコリン・カーティスとダンス・グループのジャズ・ディフェクターズによるジャズ・イベントが話題となり、ジャズに合わせて踊る文化が生まれた。ジャミロクワイやインコグニートなどが有名なアーティストです。語源はイギリスミドルセックス州のブレントフォードにあるクラブ ウォーターマンズ・アーツ・センターで行われたイベントSpecial BranchでDJのクリス・バングスがジャズドラマー・アートブレイキーの曲を流した際、ブースの後ろにある「ACID」の文字を見たとき、「アシッド・ジャズ」という言葉を思いつき、一緒にプレイをしていた別のDJがマイクパフォーマンスで「アシッド・ジャズ」と言い放ちその呼称が広まりました。
Jamiroquai
イギリスのアーティスト。アシッドジャズの世界では最も成功したグループのひとつ。1992年にデビュー後、インコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ガリアーノ、コーデュロイ等のロンドンを本拠地とした面々と共に、1990年代始めのアシッドジャズ界を代表するものとなった。