東京府(現:東京都)出身。初めは放送・コント作家であったが、1959年(昭和34年)頃からオーディオ評論家として活動。作家ならではの筆力とユーモアあふれる文章でメーカーに媚びない辛口の批評を書くことによって人気を博した。コストパフォーマンスを重視した廉価製品の評価、自作スピーカーの工作記事およびソフト紹介(主に外盤)でも知られ、生涯に600種類もの自作スピーカーの設計を発表、生涯に保有したレコード、CD、LDの数は総計5万枚に及ぶ。長岡さんの偉業の一つに「長岡流自作スピーカー」を設計・発表したことがあげられる。晩年は小口径スピーカーユニットで豊かな再現力を持つユニークなスピーカーシステム「スワン」シリーズで好評を博しました。晩年には究極のホームシアタールームを実現するため、埼玉県越谷市の自宅に「方舟(はこぶね)」と自称する建物を建てて話題となった。レコード評論家としても有名で、趣味はアンティークカメラの蒐集でした。

本名は富岡 寿一(とみおか じゅいち)。東京市赤坂区の表参道沿いの借家(現在の港区北青山付近)で生まれる。父は小学校の校長を務めていた。
■1945年(昭和20年):終戦後、東京青山のアパートメントに住み、「とみおか鉄瓶」名でコントなどの台本やクイズ番組の問題を書いて生計を立てながら、拾った部品で真空管ラジオを作ったりカメラ、時計等を購入することを趣味としていた。
■1957年(昭和32年):初めてハイファイオーディオシステムを購入。松下電器産業(現:パナソニック)の8インチフルレンジスピーカー8PW1を中心にしたシステムだった。この頃から音楽之友社の雑誌に記事を書くようになる。
■1971年(昭和46年):埼玉県越谷市に鉄筋コンクリートプレハブの一戸建て(8畳2間、6畳4間、1キッチンの8K)に転居。以後、生涯ここに住むことになる。この頃からスピーカー工作に力を入れるようになる。長岡が自ら板を切り釘を打ってスピーカーを工作していたのは初期のみで後に工作はスピーカー工作記事掲載誌の編集者に任せるようになった。越谷を選んだ理由は新幹線が走っておらず、電波に悪影響を及ぼさない場所だからと語っている。

■1980年(昭和55年):L-R,L,R,R-Lの4つのスピーカーユニットをひとつの箱に収めたマトリックススピーカーMX-1を発表。

中央上部は「右」、中央下部は「左」、右側は「右マイナス左」左側は「左マイナス右」の再生を受け持ちます。
■1986年(昭和61年):バックロードホーン型・点音源方式の自作スピーカー「スワン」を発表。このスピーカーは長岡宅を訪問した評論家の立花隆が絶賛した事もあって、オーディオマニアの間で評判となりスピーカーの自作を行っていなかったマニアですら、わざわざ自作するほどの人気スピーカーになりました。スワンの系統はその後もバリエーションがいくつか発表されている。下図の左端はD-101S:スーパースワンになります。

■1987年(昭和62年):自宅の隣にホームシアター目的の建造物「方舟」を建造。土地の形に合わせて設計したため外観と部屋は五角形となった。遮音・防振のために分厚い鉄筋コンクリートの床と壁に囲まれた建造物である。
■1992年(平成4年):「スーパースワン」発表。
■2000年(平成12年):5月29日持病の喘息の悪化により74歳で死去した。

長岡氏はオーディオ評論家としては異例なほどの人気を持ち、死後も長岡氏関連書籍の出版が絶えないほどであった。これは長岡氏がハードとしてのオーディオ評論だけではなく、自作スピーカー工作や外盤を中心としたディスク紹介、時事を絡めたオーディオコラムなど、一般的な「オーディオ評論家」の枠に留まらない独自の幅広い魅力を有していたためと言えます。特に熱烈なファンは「長岡教徒(信者)」と呼ばれ、長岡氏が愛用する機器、長岡氏が推奨するディスク(「長岡推奨盤」)を買い揃えさらには方舟のコピーを建てる者まで現れるほどであった。
一方で、猛烈なアンチファンも存在した。長岡氏が好んだ高能率型フルレンジユニット使用によるバックロードホーン型のスピーカーは好みが極端に分かれる傾向があり、嫌う者は「市販の安物スピーカー以下」と酷評している。長岡氏は『Stereo』誌(音楽之友社)の質問コーナーで読者から批判されることも珍しくありませんでした。

辛口コメントとコント作家出身のユーモアある文体も長岡鉄男氏の特徴。オーディオ業界が縮小し大手某社の悪口を書くと仕事がもらえない、そんな袋小路に追い込まれた現在と違い当時は各メーカー百花撩乱。多少の辛口はご愛嬌でした。コミュニティを提供したことでディープな「ファン」をつくることに成功し、他のオーディオ評論家とは一線を画す「長岡鉄男」というブランドの神格化を決定付けたのかもしれない。