Blue Note

Blue Noteについて

ブルーノート・レコード(Blue Note Records)とは、ドイツ出身のアルフレッド・ライオンによって、1939年、ニューヨークで創設されたジャズのレコード・レーベル。

キャピトル・レコードを親会社に持ち、長年EMI傘下であったが、M&Aにともなう親会社の買収で、現在はユニバーサル ミュージックの傘下となっている。

初レコーディングは1939年1月6日にピアニストのアルバート・アモンズとミード・ルクス・ルイスにより行われた。

1940年には、ライオンのドイツ時代からの親友で写真家のフランシス・ウルフがアメリカに移ってくる。翌年ライオンが徴兵されるもウルフによりブルーノートは守られた。戦後、ライオンとウルフは、プロデュース=ライオン、経理とジャケット写真撮影=ウルフの分担で共にブルーノートの運営を行った。1940年代のビバップの勃興に際しては早くからその本質を理解し、レコーディングを行っている。その後も時代毎の優れたミュージシャンの演奏を多く録音し、モダン・ジャズ界の名門レーベルと呼ばれるようになった。

1950年代中期からは、レコーディング・エンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーの手を介した録音、新進デザイナーのリード・マイルスが手がけた斬新なレコードジャケットを得、1960年代中期までの最盛期に、後世に残る傑作アルバムを数多く送り出した。ライオンが手がけたレコードのシリーズは世界的に有名であり、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、アート・ブレイキー、ホレス・シルヴァー、ジミー・スミス、オーネット・コールマンなど、多くの著名な演奏家による演奏が記録されている。なかでも2つの傑作シリーズは特に有名で、生産されたレコードの番号から1500番台および4000番台と言われている。1500番台は1956年にスタートしたもので98タイトルがあり、1553番と1592番は欠番だった。後に1592番ソニー・クラークの「ソニー・クラーク・クインテッツ」は、強い要望に応える形で、1976年、日本の当時の東芝EMIから、世界初発売された。

1957年3月7日、エンジニアのヴァン・ゲルダーの薦めもあり、遂に、同レーベル初のステレオ録音を始める(最初のステレオ録音は、アート・ブレイキーの”Orgy in Rhytjm Vol.1&2″(1554、1555)の2枚で、これらはステレオのオープン・リール・テープでも発売された)。このお陰で、その後録音されたジョン・コルトレーンの「ブルー・トレイン」(1577)、ソニー・クラークの「クール・ストラッティン」(1588)を初めとする一連の録音、ポール・チェンバースの「ベース・オン・トップ」(1569)、キャノンボール・アダレイとマイルス・デイヴィスらによる「サムシン・エルス」(1595)、ジミー・スミスの「ハウス・パーティー」(4002)「ザ・サーモン」(4011)、ソニー・ロリンズの「ニュークス・タイム」(4001)等、後にこのレーベルの顔とも言える名盤がステレオでも残ったのは、非常に大きなことである。

1966年、アルフレッド・ライオンはブルー・ノートを米リバティー社に売却する。これを期に、米以外でもブルー・ノートのレコードがプレス、販売される様になる。
1967年、当時の東芝音楽工業から、日本プレスによる同レーベル初のレコードが発売される。
1977年頃、米リバティーの日本での発売権が、当時の東芝EMIからキングレコードに移行したことにより、ブルーノートの日本盤も同社に発売権が移行し発売される様になる。
1979年11月2日のホレス・シルヴァーの録音を最後に活動停止。
1983年に、キャピトル・レコードが米リバティー社を買収したことにより、キャピトルの親会社であるEMIの傘下になった。同年6月、新作の録音を再開。
1984年7月、社長にブルース・ランドヴァルを迎え入れた。この新体制によりジャズ・レーベルとして復活され、日本での発売元は、再び、東芝EMIに戻った。
1985年2月22日、復活イベント「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」を開催。
ブルーノート60周年を記念して1998年から始まった、ルディ・ヴァン・ゲルダーによる24ビットリマスター・シリーズ”RVG Edition”は大好評であり、2013年頃まで続いていた。[注釈 3]。特に日本では大絶賛をもって迎えられ、1998年のスィング・ジャーナル社主催の「ジャズ・ディスク大賞」で、同年度のリマスタリング部門と企画部門の2部門を受賞した。
2000年代にはノラ・ジョーンズの大ヒットで知られている。
2006年には、ブルー・ノート・レーベル・グループを発足し、ナラダ・プロダクション、その姉妹レーベルハイアー・オクターヴ・レコード、バック・ポーチ・レコードが傘下に入る。
2012年、ユニバーサル ミュージックがEMIの音楽ソフト部門を買収したことにより、ユニバーサルの親会社であるヴィヴェンディの孫会社になった。これにより日本での発売元は、EMIミュージック・ジャパンからユニバーサル クラシックス&ジャズに移行した。